経過報告

医学生 ゲーマー 双極性障害

「コロ」付きの自転車

精神科で扱われる薬は、患者自身に必要性が感じにくいために処方されても飲めないということが結構多いように思われる。

 

僕自身も何度も服薬を拒否したいという旨を伝えてきた

 

僕は退学寸前だとしても医学生なので薬の副作用についての詳しい説明がほしかったのだ

 

半減期などもわかればもっと安心して治療を受けることができる

 

新しい薬を処方されるたびに副作用について教えろと言ってきたが毎回副作用の説明は飲んだ後に行われた。(本当に許せない、頭おかしいと思う)

 

エビリファイを24mg 飲み続けた結果薬剤性パーキンソニズムと呼ばれる状態になったので、少し減らして様子を見て、最終的には主治医の指示で完全にやめた

 

今は炭酸リチウムをメインにした治療に代わっている

 

炭酸リチウムの副作用はあまり感じないので、合う薬があってよかったなと思っている

 

 

精神科の薬を飲めない理由はいろいろあるが、性格が変わってしまうのではないかということが最も一般的な薬を飲みたくない理由ではないかと思う

 

 

 

 

 

エビリファイや炭酸リチウムは自転車の「コロ」なのだ

 

自転車が僕たち自身の性格、脳のすべてだ

 

僕たち精神疾患者は何のサポートもなしだと自転車に乗れない。

 

自転車に乗れない人は「コロ」をつけて乗る練習をする

 

そしてバランスを取りやすくして自転車の乗り方を自分自身の体でつかむのだ

 

そしたら「コロ」を外しても自転車に乗れるようになっている。

 

 

 

エビリファイやリチウム、その他のたくさんの精神科の薬は幸か不幸か

 

我々の自転車を壊すことはできない。性格を変える薬なんて見つかってないんだ。

 

「コロ」付きでもいいからとにかくこけずに過ごしてみること。

 

病院だとこけても大丈夫なので僕は自分から閉鎖病棟に入ることを望んだけど

 

そこまでする必要がない人も多いだろう。

 

 

普通の人からしたら自転車に乗れることなんて当たり前かもしれない

 

だけど僕たちは他人よりも乗りこなしづらい自転車を持っているのは事実だから

 

自信をもってコロを付けるべきだと今は考えている。

 

 

 

 

隙あらば自分語り②

 前回までの自分語り…

sofp.hatenadiary.jp

 あらすじ 

 

疲れからか不幸にもうつ病にかかってしまった医学生である私に対し教務委員長谷岡が言い渡した示談の条件とは…

 

「初めての精神科医とのカウンセリング」

 

初めてのカウンセリングを受けたときの僕はうつは治ったと思っていました。

 

四六時中死について考えることはなくなっていました。

 

留年が決まった後は大学に行かず実家でのびのびと過ごしていたからです。

 

十分すぎるほどの休養を取ったのですが、

新学期になっても結局大学に行くことが苦痛でしかありませんでした

 

登校するとすれ違うかつての同級生たちが心配そうにこちらを眺めています。

 

彼らの大半は僕を純粋に心配しているようでした。中には留年した僕を馬鹿にしたように笑う人もいました。(これは被害妄想かもしれません、僕がそう感じただけです)

 

僕はいつも逃げるように大学をあとにします。必要以上にはこの場に居たくない。

 

白衣を着て大学内を嬉しそうに歩くかつての同級生たちを眺めながら大学に通うのがどれだけ苦しいことか、皆さんに伝わるとは思いません。

 

この苦しみは筆舌に尽くしがたいです。そして僕は留年した自分が許せなかった。

 

今となってはうつ病を治療せずにテスト勉強するのがいかに愚かなことかわかるのですが(うつ病にかかると知的能力が低下する)当時の僕はただ結果だけを見てへこんでいました。

 

新学期に入って4月は1度しか大学に行きませんでした。そんな中で4月末に例の留年会議を経て初めてのカウンセリングを受けたのは2年前の5月のこと。

 

そこで僕は前回のようなひどい態度で話していました

 

精神科医の先生に「お前は甘えているだけ」「思い込みが激しくなっているだけ」

 

という風に言われたのを覚えています。カウンセリングを受けましたが治療したほうがいいとか、どのくらい寝れているかとかの確認など症状に関することは一切聞かれませんでしたし、話しませんでした。

 

うつ病かもしれないと考えていて、客観的な検査を受けたいという希望も言い出すことができませんでした。

 

精神科のカウンセリングで完全に精神をズタボロにされました

 

思い込みなのはわかっているけど、大学にいるのがどうしてもつらいのです

それは病的なレベルに達していたと思います

(治療薬を飲んだ今の僕は大学に行っても手が震えたりはしませんしかつての同級生とあっても笑顔であいさつできます)

 

今思えばここで精神安定剤を出してくれたら大学に無理やりでも通えたかもしれないのになと思っています。しかしそういうことはなく。

 

うつ病ではない。治療の必要もないと言われたわけではないのですが

全く話したいことを話せず、聞いてほしいことも聞いてもらえない

喧嘩のようなカウンセリングの結果、

 

僕はそこから1年半の間大学に行くのをほぼ完全にやめました。

 

③に続きます。

 

隙あらば自分語り①

僕は某地方国立大学の医学生です。(ドヤ)今はうつ病の治療を受けています。

 

3年生の時に彼女と別れたのち、親友との些細なきっかけでの喧嘩から

 

ちょっとしたいじめを受けるようになり、大学がとても居心地の悪い空間になりました

 

それでもなんとか通うことができていましたが、このころに最初の異変が起きました

 

夜眠れないのです。そして寝続けることができない。

 

上手く寝れたとしても変な時間に起きてしまいます。

 

めちゃめちゃ早く大学に行って教室で寝てなんとか授業を受けることで睡眠周期が乱れても

 

無理やり大学に行っていたのですがだんだん大学に間に合う時間に起きられなくなって

 

1か月ぐらい完全に大学に行けなくなりました。(あいまいな記憶)

 

休んでいる間は毎日、彼女と別れたことを後悔したり、失った友達のことを考えていました

 

最終的に出席日数が足りなくなりそうでめちゃめちゃ焦っていた記憶があります

 

そしてもともとはそこそこ成績が優秀だったのですが(薬理学は学年トップ10だったし、生理学も薬理学も優でした。メカニズムを覚えるのがすごく好きでした。そこからでも泥沼の留年地獄に突入できるんだから医学生の同士諸君はメンタルに気を付けるんだぞ!)

 

 

 

そのころ、医学に対する興味をほとんど失ってしまいました。

 

これはうつ病の症状の一つ「興味の喪失、喜びの喪失」というものだということに

 

当時精神科の単位を何とか取った僕は、つたない知識ながら気づいていたのですが、

 

試験が終わったら次の試験、試験が終わったら次の試験というように試験に追われる

 

医学部の激しいカリキュラムの中で僕が精神科に通うことは難しかったのです

 

そもそもそんな体力もないし!精神科に行くぐらいなら少しでも寝たい

 

そして医学への興味を失った僕はそれまでとは一変して一気に試験を落とすようになり、試験を落とせば落とすほど試験日程は苛烈を極めるので精神科に通うのは物理的に無理になりました。

 

精神科に通うような時間があるなら少しでも勉強して無理やりでも単位を取らなくてはならないという強迫観念。

 

結局僕が精神科医に最初にコンサルトできたのは、

 

4年生でほぼ完全な不登校になり初めての留年をした後でした。

 

親に留年したことを報告するのは僕にとってつらい体験でした。

 

一浪で医学部に入り、何としてもストレートで医師になりたいと考えていたので

 

また遠回りをしなくてはならないことに対する深い自責の念を感じていたのです

 

自尊心を深く傷つけられました。

 

父親は気にすることはないから実家に帰っておいでと優しく声をかけてくれました

 

 

初めての留年と留年会議

 

留年会議は裁判のような陣取りで行われます

 

目の前には4人の教授という裁判官、被告人は学生の僕です。

 

「君はこれからどうするつもりなの?」と裁判長に冷たく聞かれました

 

なんで詰める必要があるのかわかりません。僕だって留年をしたくてしているわけではないし僕なりに頑張っているつもりなのですが、

 

ほとんど対人恐怖症のようになっていた僕は、教室にいるのが苦しくて勉強どころではなく4年のころには不登校になっていたのです。

 

医学に対する興味も失われていましたし、自信も喪失していました

 

僕「大学をやめようと思っています」

 

教授「やめてなにかアテがあるの?」

 

僕「ありません。でも医者になりたくないんです。医学の勉強も退屈で僕のやりたいことではない」

 

教授「基礎医学の成績は優秀だったのになにがあったの?」

 

僕「臨床医学がくそつまらないのが悪いです。医者なんて単純な仕事僕はまっぴらごめんです。新しい治療法を見出す研究医になりたい」

 

教授「研究医になるためには大学を卒業して大学院にいかないとそのために勉強するのは?」

 

僕「研究に役に立たない臨床医学を勉強しながら研究するのは非効率的ですよね?」

 

 

こんな感じの話をしたと思います 僕は終始喧嘩腰で話していたと思います。

鼻持ちならない学生で誰も助けようなんて思わないですよね

だいぶ最低な受け答えだったと思います。

 

そんな中精神科の教授が僕に変な質問をしました「ところで最近寝れてるの?」

 

僕「ぐっすり寝れてますよ?健康体です」

 

教授「睡眠周期ずれたりしてない?深夜遅くまで起きていたり昼夜逆転していたり」

 

図星です。大学に行けていなかった僕は完全に昼夜逆転していたしうまく睡眠周期のコントロールができなくなっていました。

 

そこで精神科の教授の提案で初めての精神科医とのカウンセリングを受けることになりました…

 

 

疲れたので今日はここまで。続きは明日にでも描こうと思います。

 

抗うつ薬の効き方 

僕の飲んでいるレクサプロという薬は、セロトニンという物質の分解を防ぐことで

 

うつ状態の者が低くなっている脳内のセロトニンを上げるというものでしかない

 

たったこれだけのことをしているだけなんだ

 

うつ状態セロトニンだけで説明がつかないのはわかり切っていて

 

薬を飲んだからぜんぶOK 万事解決とはならない。

 

喉が痛いから炎症を抑える薬を飲む、ぐらいのことなんだろうと思う

 

 

 

抗うつ薬はあまりに不完全だ。 

 

飲み始めてから実際に気分が良くなるまで2週間かかるといわれている

 

しかし副作用はその間もずっとあり続けるので厳しい

 

今はないが食欲不振、下痢などの消化管障害、性機能抑制etc

 

性欲が失われて女の人の裸が肉の塊にしか見えなくなったのはすごく奇妙な体験だった

 

今は(残念なことに?)性機能抑制もだいぶ外れてきて女の子の裸にめちゃめちゃ興味がある。

 

 

副作用に慣れてきて、少し収まったかなといったころに遅れて効果が出始めるのだ

 

僕の場合はだいたい1週間ぐらいで抗うつ薬が効き始めるというのを経験的に知った

 

だいたい1週間前に薬の量を2倍に増やしているのでその効果が出始めて

 

自分でも驚くほど明るく、前向きになっている

 

どうしようもないほど死にたいという気持ちも、たまには思い出すけど

 

その気持ちにずっと支配されることはここ数日でかなり少なくなった

 

抗うつ薬すげえ。何が起こってるのかわからんがマジでスゲー

 

 

 

うつ状態の時の僕は(今もそうなんだが) 

 

傷付いてから立ち直るまでが非常に遅かったように感じる

 

でも前に彼女と別れた苦しい体験の後に

 

バラバラになった心が寄り集まってくるのを感じたのだ

 

これは久しぶりの感覚だった 

 

数週間寝込まないと解決しなかった問題が

 

それでもやっぱり自分で頑張らないといけないという風に2~3日で思えるようになった

 

立ち直るのが早くなったと言えるだろう

 

「立ち直る」ってなんなんだろう

 

僕らの感情の多くは分子のレベルで説明することはできない

 

だけどセロトニンを増やすと立ち直りやすくなるみたいだ

 

これは不正確だと思う。

 

だけど一人の患者の報告としてこの不思議な経験について書いておきたい

 

そう思った。

死へのあこがれ

僕はうつ病

 

レクサプロという抗うつ薬を毎日半錠飲まないとたちどころに社会性を失ってしまう

 

まず夜眠れなくなってしまう

 

夜眠れなくなると朝起きるのは難しいので社会生活を送ることが難しくなるのは必然だ

 

どんなに起きたくても起きれないときは起きれない

 

それはどんなに寝たくても寝れないからある種当然の結末である

 

まあそんな感じで多くの症状をもつうつ病という概念だが

 

うつ病の中でも最も命に関わる症状 「希死念慮」について話そうと思う

 

簡単に言うと「死にたいと願うこと」おしゃれに言えば「死への憧れ」だ

 

 

僕は自殺者を尊敬している

 

自殺は勇気がいることだ。

 

これから起こるかもしれない、いろんないいことを全て切り捨てなければ自殺には至れない。

 

しかしそうまでしてでも、すべての苦しみから逃げたいと願うようになってしまう。

 

全ての苦しみは僕に原因があるのだから、僕が解決するか、

 

解決できないなら死ぬしか、この苦しみから逃れる道は存在しない。

 

自殺する理論はとても簡単で矛盾がない

 

幸せをすべてあきらめてでも平穏を得たい、完全な平穏を得たいなら死ぬのが一番いい方法だ

 

 

 

僕はラッキーだった。治療を初めて10日後に久々に彼女ができた。

 

彼女には付き合う前に、僕がうつ病であることを告白していた

 

家族以外の相手で僕の病気を打ち明けることができた初めての人だった。

 

ただその時は治療を開始した直後で、抗うつ薬の「操転」と呼ばれる副作用

 

言ってみれば効きすぎてめちゃめちゃハイになっている状態だった

 

おそらく麻薬を使っているときに感じるのと同じような感覚なのだろう。

(断っておくが麻薬を使ったことはないので推測に過ぎないのだが)

 

そんな状態だったので僕が病気で苦しんでいるということが伝わらなかったのだと思う

 

うつ病者は他人を苦しめてしまう。これは客観的な事実だ

 

他人に迷惑をかけないためにも僕は一刻も早くこの病気を克服すべきだ

 

迷惑をかけている、苦しめていると感じるとやはり、死にたいと願うようになる

 

ぼくのような無価値な人のせいで人を傷つけたり苦しめたりするのは申し訳ない

 

僕がすべて悪いのだからどこかから飛び降りて、きっちり死ぬべきだ。

 

中途半端に障害が残ってギリ生き残るのではなく、即死が望ましい。

 

 

 

そんなこんなで今日彼女と別れることになった

 

僕なりに精一杯頑張ったので悔いはないし病人と付き合ってくれただけで感謝するしかないだろう

 

すごく短い間だけど楽しかった

 

大学の健康センターで死にたいと相談すると10人ぐらい入れ代わり立ち代わり僕の話を聞いてくれて

 

自殺しないようにめちゃくちゃ見張りを付けてくれた

 

いい大学に入ったなと心から思った

 

今日はおそらく死ぬ勇気が出てて

 

死ねるとしたら今日しかなかった

 

これ以上苦しいことはあまり重ならないと信じたい

 

この先また苦しいと感じたときに、今日死んでおけば…と悔やむこともあるかもしれないが

 

なんかいろんな人の助けでしぶとく生き残ってしまったので 

 

これからも社会に適応するための努力を積み重ねていくしかない

 

いつか精神科医としてこの恩に報いるために。

 

 

 

 

 

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なんでもかんでも無料がいいよね、無料にすべきだよねというのには個人的には乗れません。

 

ブログの場合は無料でPVとアフィリエイトで稼ぐみたいなビジネスモデルでは全然やっていけないので、有料記事にシフトするのは世の中の流れです。

 

無料でいい記事が読める昔は良かったねというのはわかりますが(その時も数はとても少なかったはずです、本当に良かったかな?)

 

一度出来上がった流れを覆すことはできませんし、有料記事にもメリットがたくさんあります。

今更アナ雪のレビュー:社会不適合者視点のアナ雪

1.エルサの特殊なキャラクター性

 

エルサはとても美しい女性だが、女性性のとても薄いキャラクターということはこの映画を見ればわかることだろう。彼女は女王として国を導く使命があるし、奔放な妹の突然の婚約に反対するなど、父性すら感じさせるような行動を行っている。

 

「氷の魔法」は何の比喩なんだろうか?僕個人の解釈としては、単純にコミュニケーションを難しくしている障害として、不随意に氷の魔法を使ってしまうことが使われていると考えている。氷の魔法を使える人間は存在しないが、コミュニケーションを苦手としている人はこの世界にたくさんいる。そういう社会不適合者の代表としてエルサは描かれているのではないかと思っている。(少なくともそういう解釈ができる)

 

社会不適合者と呼ばれる人には明らかに男性のほうが多いので、男性はエルサに感情移入できる人も多いのではないか。実際にエルサは自分の能力を抑えるために、部屋に閉じこもって誰にも相談できない。社会不適合キモオタクの僕としてはエルサにどうしても感情移入してしまうのだ。(そしてエルサは男性に恋するというような、女性特有の感情の描写がない。これは男性側の感情移入の邪魔になるからではないか?)

ただじっと特徴を「隠して」痛みを「感じないように」「気づかれないように」生きている

 

2.英語歌詞の解釈を中心にしたストーリーのおさらい

 

最初は「ゆきだるまつくろう」から始まる。この曲はめちゃめちゃ切ない。

この映画の曲にはdoorという単語が良く使われているが、この曲でも

 

I never see you any more

Come out the "door"

 

という風に使われている

アニメでも閉じたドアがとても印象的だ。

 

2曲目は「うまれてはじめて」

戴冠式のパーティの日に、アナの喜びが爆発する曲だ。社交性の高いアナのような女性にとって、パーティは最高の楽しみだろう。我らが陰キャの女王エルサにとってはこの日が苦しくて苦しくて仕方がない。 doorやgateを開けたいアナと開けたくないが開けざるをえないエルサの違い そしてconceal  don`t feel be a good girl you always have to be というような「let it go」でも使われている表現が歌詞にも出てくる。

 

3曲目は「とびらあけて」

アナが運命の王子様(?)と出会って恋に落ちる歌 

love is an open door

この文章の解釈はとても難しい。直訳だと「愛は開いたドア」

「私の人生は開かないドアを見つめるばかりだったけど、そんなとき偶然あなたと出会ったの」

という風にドアを人生の障害という風にとらえると、愛は障害を取り払ってくれたとかそういう風な解釈で問題ないだろうか? まあ恋愛ってこんな感じですよね

you and I just meant to be! 言ってみたいね(あなたと私は運命で結ばれてるみたいな意味)

 

4曲目が有名な「let it go」

日本語だと「ありのままで」という風にどちらかと前向きな感じだが

僕個人の英語詩の解釈で行くと「どうにでもなれ」ぐらいの感じだと思う

 

「耐えがたきを耐え忍び難きを忍び、めっちゃ隠してきた秘密をみんなに知られてしまった~♬」のつながりとして

 

「ありのままで~♬」はちょっと美しすぎる

「もう知らんわボケ!好きなようにやらせてもらうわ」ぐらいの解釈でいいのではないかと思う。

 

この曲にもdoorはやっぱり出てきて、「slam the door=ドアを乱暴に閉じる」

なんだよね

アナの望みを全部かなえた歌が"love is an open door"なので真逆といってもいい

 

エルサは女王として人とかかわっていく自信がないからなるべくドアを閉じて、部屋の中から出たくなかったのに、無理やり外に出されてやっぱり失敗して、今度は雪山に籠ろうとします。好きなように一人で生きていくことが彼女に残された唯一の望み。そういう切実な曲です。

 

5曲目「トナカイのほうがずっといい」

クリストフの曲ですね なんか言うてます

 

6曲目「あこがれの夏」

オラフの歌です。オラフはエルサの魔法が作り出した存在。なのでこの曲はオラフのものだけども、エルサの気持ちを歌った曲という解釈ができます。だとすればエルサもやっぱり夏にあこがれている。エルサの部屋の中は常に寒いので、エルサが夏を感じるには外に出る以外方法はありません。本当は外に出たいエルサの気持ちをオラフが代わりに歌っているのです。オラフの明るい性格もエルサの幼少期の明るい性格と被るものがあります。

「空は青く澄んで、友達もいる。それが僕のあこがれる夏さ」

;;

 

7曲目「うまれてはじめて(リプライズ)」

山奥の隠居生活でそれなりに楽しく暮らすエルサに、城に帰ってくれと説得しに行くアナから歌いだす曲ですね

この段階でようやくエルサの抱える問題にアナがしっかり気付いた状態での会話が始まります

 

エルサは一人で生きていくことにある程度満足しています。夏にはあこがれているし、みんなと一緒に太陽の下で暮らしたいのは間違いない、ただ孤独だけど自由であることがエルサにとっては十分幸せだったのですね。しかしそのせいでアレンデールが永遠の冬に閉じ込められてしまっているのを何とかしないといけないので、山奥で仙人のような暮らしをすることさえも許されないということを伝えられ絶望しています。

 

I`m such a fool.

I can`t be free.

No escape from the storm inside of me.

I can`t control the curse.

Anna, you`ll make it worse.

I can`t!!! (unfreese it)

 

私は大バカ者だ

自由になんてなれやしない

内なる嵐からの逃げ場なんてなかったんだ

この呪いをコントロールするすべがわからない

アナ、状況を悪くするだけだよ

私には(氷を解かすことなんて)できない

 

遺書かな?と思うぐらい深い悲しみを感じますね

 

8曲目「愛さえあれば」

クリストフに明らかに惹かれているアナに、王子よりもこっちのほうがいいだろと勧める曲に見えます

 

fixer upper という言葉の解釈は「改善されるべきもの」ぐらいでしょうか

日本語訳の歌だと「彼は完璧じゃない」って訳されてるけど良い訳ですね

 

クリストフの欠点を並べ上げるけど、それでも愛さえあればうまくやれるという曲です

 

ブリッジのソロがめちゃめちゃ感動する

 

We’re not sayin' you can change him ‘Cause people don’t really change

We’re only saying that love's a force That's powerful and strange

People make bad choices if they’re mad Or scared, or stressed

Throw a little love their way

And you’ll bring out their best

True love bring out their best!

 

私たちはあなたなら彼を変えられるといいたいわけじゃないの

だって人の性格を本当に変えるなんてことは誰にもできないから

 

ただ私たちが言いたいのは愛の力はとても強力で不思議なものだということ

 

人々は正気を失ったり、恐れていたり、ストレスを感じたりすると間違った選択をしてしまうものよ

 

その時はその人を少しだけでも愛してあげて

 

そうすればその人にとってのベストを引き出せる

真実の愛はその人のベストを引き出すことができる。

 

「誰もが完璧じゃないし、完璧じゃないものこそが人間 でも大丈夫 愛さえあれば」

 

アナはまずこういう考えでクリストフを受け入れることを決めて自信を深めたはず。

愛さえあればエルサのようにもっと受け入れがたい欠点を持っている人でも絶対に受け入れることができる。エルサは本当は良い人だって信じてるし

 

まあこの映画の言いたいことってありのまま生きようってことではなくて

ありのまま生きれないことのほうがどう考えても多いけど

愛さえあれば大丈夫っていうことなんですよね

わりと説教臭い歌ですが かなりいい曲だと思います

 

この愛さえあればの感想を書くためにここまで頑張りました

 

はい 2楽しみですね。観に行くと思います。