隙あらば自分語り①
僕は某地方国立大学の医学生です。(ドヤ)今はうつ病の治療を受けています。
3年生の時に彼女と別れたのち、親友との些細なきっかけでの喧嘩から
ちょっとしたいじめを受けるようになり、大学がとても居心地の悪い空間になりました
それでもなんとか通うことができていましたが、このころに最初の異変が起きました
夜眠れないのです。そして寝続けることができない。
上手く寝れたとしても変な時間に起きてしまいます。
めちゃめちゃ早く大学に行って教室で寝てなんとか授業を受けることで睡眠周期が乱れても
無理やり大学に行っていたのですがだんだん大学に間に合う時間に起きられなくなって
1か月ぐらい完全に大学に行けなくなりました。(あいまいな記憶)
休んでいる間は毎日、彼女と別れたことを後悔したり、失った友達のことを考えていました
最終的に出席日数が足りなくなりそうでめちゃめちゃ焦っていた記憶があります
そしてもともとはそこそこ成績が優秀だったのですが(薬理学は学年トップ10だったし、生理学も薬理学も優でした。メカニズムを覚えるのがすごく好きでした。そこからでも泥沼の留年地獄に突入できるんだから医学生の同士諸君はメンタルに気を付けるんだぞ!)
そのころ、医学に対する興味をほとんど失ってしまいました。
これはうつ病の症状の一つ「興味の喪失、喜びの喪失」というものだということに
当時精神科の単位を何とか取った僕は、つたない知識ながら気づいていたのですが、
試験が終わったら次の試験、試験が終わったら次の試験というように試験に追われる
医学部の激しいカリキュラムの中で僕が精神科に通うことは難しかったのです
そもそもそんな体力もないし!精神科に行くぐらいなら少しでも寝たい
そして医学への興味を失った僕はそれまでとは一変して一気に試験を落とすようになり、試験を落とせば落とすほど試験日程は苛烈を極めるので精神科に通うのは物理的に無理になりました。
精神科に通うような時間があるなら少しでも勉強して無理やりでも単位を取らなくてはならないという強迫観念。
結局僕が精神科医に最初にコンサルトできたのは、
4年生でほぼ完全な不登校になり初めての留年をした後でした。
親に留年したことを報告するのは僕にとってつらい体験でした。
一浪で医学部に入り、何としてもストレートで医師になりたいと考えていたので
また遠回りをしなくてはならないことに対する深い自責の念を感じていたのです
自尊心を深く傷つけられました。
父親は気にすることはないから実家に帰っておいでと優しく声をかけてくれました
初めての留年と留年会議
留年会議は裁判のような陣取りで行われます
目の前には4人の教授という裁判官、被告人は学生の僕です。
「君はこれからどうするつもりなの?」と裁判長に冷たく聞かれました
なんで詰める必要があるのかわかりません。僕だって留年をしたくてしているわけではないし僕なりに頑張っているつもりなのですが、
ほとんど対人恐怖症のようになっていた僕は、教室にいるのが苦しくて勉強どころではなく4年のころには不登校になっていたのです。
医学に対する興味も失われていましたし、自信も喪失していました
僕「大学をやめようと思っています」
教授「やめてなにかアテがあるの?」
僕「ありません。でも医者になりたくないんです。医学の勉強も退屈で僕のやりたいことではない」
教授「基礎医学の成績は優秀だったのになにがあったの?」
僕「臨床医学がくそつまらないのが悪いです。医者なんて単純な仕事僕はまっぴらごめんです。新しい治療法を見出す研究医になりたい」
教授「研究医になるためには大学を卒業して大学院にいかないとそのために勉強するのは?」
僕「研究に役に立たない臨床医学を勉強しながら研究するのは非効率的ですよね?」
こんな感じの話をしたと思います 僕は終始喧嘩腰で話していたと思います。
鼻持ちならない学生で誰も助けようなんて思わないですよね
だいぶ最低な受け答えだったと思います。
そんな中精神科の教授が僕に変な質問をしました「ところで最近寝れてるの?」
僕「ぐっすり寝れてますよ?健康体です」
教授「睡眠周期ずれたりしてない?深夜遅くまで起きていたり昼夜逆転していたり」
図星です。大学に行けていなかった僕は完全に昼夜逆転していたしうまく睡眠周期のコントロールができなくなっていました。
そこで精神科の教授の提案で初めての精神科医とのカウンセリングを受けることになりました…
疲れたので今日はここまで。続きは明日にでも描こうと思います。