隙あらば自分語り②
前回までの自分語り…
あらすじ
疲れからか不幸にもうつ病にかかってしまった医学生である私に対し教務委員長谷岡が言い渡した示談の条件とは…
「初めての精神科医とのカウンセリング」
初めてのカウンセリングを受けたときの僕はうつは治ったと思っていました。
四六時中死について考えることはなくなっていました。
留年が決まった後は大学に行かず実家でのびのびと過ごしていたからです。
十分すぎるほどの休養を取ったのですが、
新学期になっても結局大学に行くことが苦痛でしかありませんでした
登校するとすれ違うかつての同級生たちが心配そうにこちらを眺めています。
彼らの大半は僕を純粋に心配しているようでした。中には留年した僕を馬鹿にしたように笑う人もいました。(これは被害妄想かもしれません、僕がそう感じただけです)
僕はいつも逃げるように大学をあとにします。必要以上にはこの場に居たくない。
白衣を着て大学内を嬉しそうに歩くかつての同級生たちを眺めながら大学に通うのがどれだけ苦しいことか、皆さんに伝わるとは思いません。
この苦しみは筆舌に尽くしがたいです。そして僕は留年した自分が許せなかった。
今となってはうつ病を治療せずにテスト勉強するのがいかに愚かなことかわかるのですが(うつ病にかかると知的能力が低下する)当時の僕はただ結果だけを見てへこんでいました。
新学期に入って4月は1度しか大学に行きませんでした。そんな中で4月末に例の留年会議を経て初めてのカウンセリングを受けたのは2年前の5月のこと。
そこで僕は前回のようなひどい態度で話していました
精神科医の先生に「お前は甘えているだけ」「思い込みが激しくなっているだけ」
という風に言われたのを覚えています。カウンセリングを受けましたが治療したほうがいいとか、どのくらい寝れているかとかの確認など症状に関することは一切聞かれませんでしたし、話しませんでした。
うつ病かもしれないと考えていて、客観的な検査を受けたいという希望も言い出すことができませんでした。
精神科のカウンセリングで完全に精神をズタボロにされました
思い込みなのはわかっているけど、大学にいるのがどうしてもつらいのです
それは病的なレベルに達していたと思います
(治療薬を飲んだ今の僕は大学に行っても手が震えたりはしませんしかつての同級生とあっても笑顔であいさつできます)
今思えばここで精神安定剤を出してくれたら大学に無理やりでも通えたかもしれないのになと思っています。しかしそういうことはなく。
うつ病ではない。治療の必要もないと言われたわけではないのですが
全く話したいことを話せず、聞いてほしいことも聞いてもらえない
喧嘩のようなカウンセリングの結果、
僕はそこから1年半の間大学に行くのをほぼ完全にやめました。
③に続きます。